ギリシャ系住民の望郷 <パフォス>

引き続き2004年のキプロス旅の話。
ここでも数々の印象深いことがあったし、前エントリーの老人も忘れがたい人のひとりなんだが、実は真っ先に思い出す人物がいる。
2年ほど前、mixiで書いた日記の焼き直しになっちゃうけど・・・(^^ゞ

ご存知の通り、キプロス島は南北に分割されている。
南がEUに加盟して間もない「キプロス共和国」でギリシャ系。
北は国際的(トルコ以外)には認められていない「北キプロス・トルコ共和国」というトルコ系の国家。
トルコ人とギリシャ人は仲が悪いけど、それが顕著に感じられるところである。

このときは主にギリシャ側をレンタカーで巡り、かつてのベルリンのように分断された首都、ニコシアで国境を越え、トルコ側はニコシアだけ歩いた。

しかしこれはギリシャ系の南キプロス、最初に訪問したパフォスという古代遺跡がある町での話だ。

前日に、街ごと世界遺産のカト・パフォスで都(BC2~AD4世紀)の跡を見学。本体の旅行記はその途中までしか完成していない・・・(^^ゞ
http://www3.plala.or.jp/keiko-ev/04Cyprus/040908a.html
その日はそれより古い王族の墓地を見に行った。
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そして、てくてく歩いてパノ・パフォスという新市街のほうへ (写真はマーケット内部)。
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・・・あいかわらず前置きが長いなw、ここから本題に入ります。

その市街地を歩いていたときのことだった。
新市街と言っても古代遺跡に比べての新市街。昔ながらの町工場が並ぶエリアが面白く、どんどん歩くうちにどこにいるか分からなくなっていた。
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見覚えのあるモスクのミナレット(尖塔)を見つけ、ようやくホッとする。
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そんな経緯を記憶にとどめるため、そのミナレットにカメラを向けた↓
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そのときだ。
地元のオジサンが斜め前方からやってきたのは視界に入っていたのだが、その黒々と日焼けした、いかにもギリシャ系らしい彫りの深い顔立ちのオジサンが、私の横で立ち止まり話しかけてきたのだ。前にも言ったが、キプロス人はかつて英国支配を受けていたため高齢者ほど英語が堪能である。

「あれは今でこそモスクだが昔は私らの教会だったんだよ」
「ええ、ガイドブックで読みました」
「トルコの連中はその教会にあんな塔をくっつけちまって、モスクにしたんだ‥‥。
君はハギア・ソフィアに行ったことはあるかい?」
ギリシャ語では聖ソフィア(アヤ・ソフィア)をハギア・ソフィアと言う。
「イスタンブールの? ええ、行ったことがあります」
「そうだ、あのハギア・ソフィアと同じだよ。あれだって、奴らはめちゃくちゃにしやがった。我々にとって一番重要な大聖堂を、だぞ」

かつてのコンスタンティノープル(現・イスタンブール)の大聖堂、聖ソフィア。今では博物館となっていて、漆喰で塗り隠されていた壁画の一部が元に戻っているものの、完全な再現は不可能なんだろう。遠く離れた極東の人間からすると、そうなった状態こそが歴史的遺産とも受け取れるのだが、ご当人たちにとっては今もなお由々しき問題なんだよね。
うなづくばかりの私。

「ファマグスタは知ってる?」
「ええ、名前だけは。北の町ですね?」
「私はそこの出身なんだ」
「え!?!? じゃあ分断でこちらに? それは大変だったでしょう」

キプロスは英国から独立を果たしたあと、民族間の対立が激しくなって南北に分断された。北側にいたギリシャ系住民は命からがら南に逃げてきたとは聞いていた。まさに彼がその一人だったわけだ。

「ああ、そりゃ大変だった。仕事も家もなくてね。
  ‥‥帰りたいよ。今でも。
‥‥そうだ! 君のパスポートを貸してくれ。そしたらすぐに帰れる!」
厳つい顔を輝かせるものだから、ちょっとビックリ∑(゚ω゚ノ)ノ

「あはは‥‥冗談だよ、冗談」
悲しげに笑いながら、じゃあとばかり手をあげて立ち去っていった。
私は金縛りにあったようにその後ろ姿を見送るしかなかった。
すると彼はもう一度私を振り返り、
「もう50年だよ、50年!」と叫んで横の通りに消えたのだった。


当時は紛争から40年強だったはずだが、彼は「やがて半世紀だ」という思いだったんだろうな。

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